『「好き」を言語化する技術』って本を読みました。最近はビジネスの文脈で一種のスキルとして語られることの多い「言語化」ですが、本書では、本・映画のレビューの書き方や趣味嗜好の語り方といった「自分の大好きな人/物/事に対する思い」が言語化の対象となっております。
著者は、趣味でオタク発信(宝塚とアイドル)に情熱をそそぐ書評家・三宅香帆さん。いわば、自分の感想(気持ち)を言葉にする読書感想文のプロです。
こんな本です
自分の「推し(大好きな存在)」に感動したとき、それについて…
- 誰かに語りたい
- 魅力をもっと多くの人にシェアしたい
- 素晴らしさを発信したい
けど、いざ語ろうとすると「好き」「やばい」しか出てこない。じっくり準備してからと後回しにして、結局なにも言葉を残せないまま、発信の機会を逃し続けている。
語彙力も文章力もないし、私は言語化が下手っぴなんだ…
大丈夫。私が書評家として長年培ってきた「自分の言葉をつくる技術」をまとめて伝授します。輝かしい推し活を始めましょう!
感想文って、何を取り上げるのか自分で決めるところから始まる自由作文なんで難しそうですよね。好きなもののについての語り方・書き方なんて習う機会が無いですし、そもそも「これ!」っていう正解プロセスがあるのかもわからないです。
かく言う私も、小学校1年生からの読書感想文にはじまり、雑誌やラジオにお便りを送ったり、業務日報を2年間マジメに続けたり、語学書やガジェットのレビューを書いたりと、人より多く「感想文」を綴ってきた方だと思いますが、文筆心ついた頃からの自己流ですし、他の人がどんなプロセスで書いてるのかは確かに気になるところでありました。
著者によると、自分の大好きなものを誰かに伝えたり、見て聞いて感激を経験したものを言葉にするには、下記3ステップの準備を踏むとのこと。
- 心を動かされた要素を挙げ、深掘りする
- その際の「自分の感情」と「心動かされた原因」を言語化する
- 上記1.2.のプロセスを忘れないようにメモする
本書では、上記各プロセスが詳しく述べられてまして、書き出しと構成のパターン化や修正の仕方、プロが書いた推し語り(書評・レビュー)の読み方なんかも解説してます。
なんせ、一貫して「伝わる文章を書くのに必要なのは語彙力とか読解力じゃなくて、ちょっとしたコツと工夫をしようとする志だ!」って考え方に基づいていろいろ解説してくれるんで、なかなか希望に満ちているというか、趣味の延長でライターをやってるような自分が勇気を貰えた本でした。
てなわけで、個人的に「これは自分に課すべき」と思った言語化のルールをピックアップしてみました。
ルール①世の中の「ありきたりな言葉」に自分の感情を奪われるな
著者は、推しを語る際に一番大切なことは「自分オリジナルの感情を言葉にすること」としています。ここでの「オリジナル」は独創的ってよりは、「(複製品に対する)原形・原作」って意味合いですね。まずは、他者でなく自分に起源(origin)がある感情にちゃんと焦点を当てましょうってこと。
これって、意外と難しいんですよ。なぜなら人間は、何も考えずにいたら、世の中に既にある「ありきたりな言葉」を使ってしまう生き物だからです。
もっとも警戒すべき敵は、「クリシェ(cliché)」だとのこと。クリシェはフランス語で「頻繁に使われすぎて陳腐化した表現」を意味し、敢えて日本語にすると「常套句(悪い意味で)」とかになります。
感想界のクリシェ例「やばい」「泣けた」「考えさせられた」
「考えさせられる」なんて、使うだけでなんだか「かっこいい感想っぽくなる」言葉だと思いませんか?でも、そういう言葉こそ、いったん忘れてほしい。クリシェ(=ありきたりな言葉)は、あなた自身の感想を奪ってしまうから。クリシェを禁止した先に「自分だけの感想」が存在する。
クリシェ禁止をいきなり会話で実践するのは難しいので、最初は文字に書き起こして、周囲でよく聞く「それっぽい言葉」が出てきたら「これって自分の感情から湧いてきたものだっけ?」と立ち止まって、自分だけの感情と思考を取り戻して言葉にする…を繰り返しすと。これだと、確かに「工夫をしようとする”志”」で何とかなってますね。
ルール②自分を言語化する前に他人の感想を見ない
クリシェ以外に、自分だけの感想を阻害するもう一つの要素は「他人の感想」です。著者は、「好き」を言語化する一番のNG行為として、「自分の感情を言語化する前に、他人の感想(言語化された他者の感情)を見ること」を挙げています。
要は、映画を見た後、推しのライブに行った後、新しく買ったカメラレンズを使ってみた後…自分の感情をまだ言語化してないのに、SNSやブログで他の人の感想を読んでしまうといったことです。
他人の強い言葉に身を委ねすぎるのは危険です。自分が思ってもみなかったものを、さも自分がもともと考えていたかのように抱いてしまう。すると、自分の「好き」はおろか、自分の感情や思考、もともと持っていた言葉も見失ってしまいます。
まだ言語化できていないモヤモヤした感情を抱えた状態で、他の人のハッキリとした言葉を見てしまうと、感情そのものがそっちに寄ってしまうとのこと。瞬時に言葉にできないほどの強い「感情」なのに、それをサラっと塗り替えてしまう「言葉」のパワー恐るべしですね。
言葉のクセはうつっても、思考は自分だけの部屋を持てるように。自分だけの言葉を手放さないように。SNSやインターネットで自分の推しついての感想を見るのは、自分の感想を書き終わってから。
私これ結構やってしまうのでグサグサきました…(;’∀’)「他の人はどううまいこと言ってるんだろう」とか「どのラインを引用したんだろう」とか気になるんですよね。今も本書の感想をソワソワしながら書いてます。
いったん書き終えてしまえば、人の言葉を見てもOK!「あの人はここに着眼したんだ!」「こんな書き方もあるんだ!」と客観的に読めるので、自分の言葉や感情を失うことはない。文章を書く上で学びも多いですよね(たぶん)。
ルール③「好き」は鮮度の高いうちに言語化せよ。
文章術とは少し逸れますが、そもそも「好き」を言語化することに何のメリットがあるのさ!って章が面白かったです。自分だけの感動を心にしまっておいてもいいわけで、無理して他人に伝える必要はないですもんね。
それでも自分の言葉で感動を書き記しておくべき理由
- 自分の構成要素として大きなパーセンテージを占める「好き」を言語化することは、自分自身を言語化することになる。
- 自分自身について、また「好き」の対象についての理解が深まる。
- 言語化しておけば、たとえ「好き」が消失しても、その時の感情が(言葉で)自分の中に残り続ける。
周囲の言葉や反応で「好き」は簡単に揺らぎ、自分の成長や価値観とともに絶えず変化するものであるから、その時々その瞬間の感情を言語化して保存しておくことで、自分の価値観や人生そのものを記録していることになると。
好きという感情の輪郭を自分でなぞって確認しておく。いつか好きじゃなくなっても「ああ、たしかにこの時期、私はこういうものが好きだったな」と思い出せるようにしておく。
確かに、何かに対する「好き」という気持ちは、ちょっとしたきっかけで冷めたり方向が変わったりするものです。思春期に刺さっていた歌詞も今はピンと来なかったり、好きなミュージシャンの素性(プロフィール)が判明していくにつれて魅力を感じなくなっていったり。
「好き」は儚いからこそ、鮮度の高いうちに言葉で保存しておいたほうがいいんです。そして、言葉という真空パックに閉じ込めておく。
その時に言語化しなかった感情は、そのうち消失したりまた変化したりで、そうこうしてるうちに心が大きく揺れ動いた事実すらも忘れていくかもしれないって寂しいですもんね。
感情が薄まらないうちに、その「感情」と「心が動かされた原因」をメモに残しておく。聞けば「そりゃそうでしょ」なんですが、意外とできてるひとは少ないのかも。
中途半端ですがこの辺で。他の人の感想を見に行ってきます (´・ω・)